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(1KB)Wired VISIONからのニュースの抜きだしばかりで大変恐縮なのだけれど、
放っておけなかったので、ピックアップしてみる。
「20秒間の楽曲を1KB以下に圧縮:音質を聴き比べ」
http://wiredvision.jp/news/200804/2008040721.html何も驚くべき事ではない。
もはや当然の流れとして、確実に来るべき時が来る、その足音を感じさせるニュースだ。
いわゆる考え方として、Tanarity先生の云う、「自動生成」に向かうその一歩のようなものである。
一人の音楽家から無限に音楽が生成されるがごとく、楽器の根本的な物理的モデルから音を自動生成させると考えれば、現在のような膨大な音のデータ処理は必要なくなる。
似たような話では、量子コンピューターも量子に重ね合わせを利用する事により、驚くほど少ない量子(キュービット)で膨大なデータ処理を行なえる。
DNAもあの小さな螺旋から全ての生物が出来上がるのだから、これほど省エネな仕組みはない。自然は脅威の多様性を持ちつつも、仕組みとしては驚くほどシンプルなのだ。
また、今や原子を好きなようにコーディネイトして自己組織化させ、存在しない望んだ特性を持つ物質まで作りさせる技術が開発されている。何でもありだ。
何が正しいと云う判断は出来ない。ただとても不安に感じる。
人間不在で自動的に生成された音楽は、一体何のための音楽なのか。
人間の感情やノイズも、いずれパターン化され、再現されてしまうのか。
果たしてそれは人間のためにとってどういう意味があるのか。
自己矛盾はしていないだろうか。
最近売れているもの、人の心をつかむものは何故かノスタルジックなものが多い気がする。それは何故だろう…。
安易な否定は本質を見失う。進歩する事自体は不可避だし、間違っているとは思わない。そこから何を学ぶべきか。
もう一度よく、あらゆる事の本質を見直すべきかもしれない。
私がコンピューター上でシタールを演奏しても、実際の自分が演奏できなければ、それは少なくとも私にとって意味のある事ではない事はたしかだ。